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横浜薬科大学図書館。2012.11.3(土・祝)。
この日は祝日(文化の日)で休校日でしたが、守衛の方に撮影の許可を頂きました。

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旧ホテルエンパイア。
遊園地の横浜ドリームランドに併設される形で1965年(昭和40年)3月28日に開業し、
ちょうど30年後の1995年(平成7年:月日不明)に閉鎖された。

ホテルエンパイア
大林組歴史館 より。

大林組により1965年(昭和40年)に竣工した。完成当時は地下2階地上21階、高さは建物部の高さが68m、尖塔と避雷針を含めて93mであり、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。
21階という階数は、来るべき21世紀を象徴したもので、ホテルでありながら五重塔をモチーフとした和風建築とし、内装について“桃山時代の文化の復元”を標榜したのは、「日本にしかない、日本でしかできないホテルを目指すべき」という意図による。
五重塔を伸ばして二十段にしたような独特の形状で、高台の上に建っており近くに高い建物や大きな山が存在しないことから、多少離れた場所からでも目立つ建造物で、周辺が田畑ばかりだった完成当初は、ひときわ異彩を放つ存在であった。

Wikipedia「ホテルエンパイア」より

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最上階の21階は回転する構造になっており、回転展望レストランとして使用された。
屋根先端の相輪を模した避雷針や中間階の屋根状の装飾が撤去された。外壁材も明るい色のパネルに交換されたため、五重塔のようだった外観は大きく変貌し、最上階の屋根だけがかつての面影を残している。


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1995年(平成7年)に廃業・閉鎖されてから2005年(平成17年)に至るまでの10年間は、誰も手をつけることなく廃墟同然となり、一時期は地元の暴走族等の溜り場となりかけたが、後に警備会社による厳重なオートセキュリティー管理がなされた。
横浜ドリームランドが2002年(平成14年)2月17日に閉園して以降、モノレール(ドリーム開発ドリームランド線)の軌道、観覧車・潜水艦等の遊戯施設など、ドリームランドに関連する多くの施設、建造物が次々に解体撤去される中、往時を偲ぶことのできる数少ない建物の一つとなっていた。


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その後、紆余曲折を経てドリームランド跡地を買収した都築第一学園が、2005年(平成17年)に改装工事に着手し、同学園が2006年(平成18年)に開校した横浜薬科大学の図書館棟になった。

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1964年8月1日、「昭和の興行師」と呼ばれた松尾國三率いる日本ドリーム観光が、毎日新聞社の後援を受けて横浜市戸塚区に横浜ドリームランドを開園させた。松尾は「観光立国」を標榜し、かねてから東京近郊での一大娯楽施設を開設することを目論んでいた。開園当初の横浜ドリームランドは、「日本のディズニーランドを目指す」という松尾の構想に基づき、約132万平方メートルの広大な敷地に遊園地やボウリング場、スケート場、ショッピングモール、映画館を備えた、当時の日本国内でも屈指のレジャー施設であった。総工費は約200億円に及んだ。開業翌年の1965年には、敷地内に当時の国内で随一の高層建築物であった「ホテルエンパイア」も完成した。
Wikipedia「横浜ドリームランド」より。

(奇しくも大学の図書館が続きました。不思議ですが意図したものではありません)



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