
鷹取山。横須賀市と逗子市の境にある標高139mの山。

だいたい◯印のあたり。
地図で俯瞰すると京急田浦駅が最寄りに見えますが
追浜から歩く方が早いそうです。

この日(2011.4.24)は京急田浦駅から歩きました。
山のてっぺんに岩が見えます。

ズーム。

鷹取山はフリークライミングのメッカ。
岩肌にある無数の小さな穴は、過去数十年間に打ち込まれたハーケンの跡。
(現在はハーケンを打ち込みカラビナを引っ掛けザイルでサポートするタイプのロッククライミングは禁止されています)
1923年の関東大震災以前は加工のしやすさからここから切り出される凝灰岩が横須賀市や逗子市で塀などに利用されていたが、関東大震災により多くが倒壊、下敷きになって死傷者が多く出たことと、同時に切り出した凝灰岩の輸送に利用していた鷹取川が隆起のため航行が困難になり、石材の切り出しは廃れていった。 ~Wikipediaより

戦後、昭和30年代に入るとロッククライミングの練習に使う若者が増え、同時に京急田浦駅、追浜駅から鷹取山経由で逗子市の神武寺へ抜けるハイキングコースが開かれ整備されたため、訪れる観光客も増大した。1965年(昭和40年)以降、山の周辺が住宅地(湘南鷹取)として開発され岩場のみ公園として残された。同時期に有志の彫刻家により山の一部に石仏が彫られた。 ~Wikipediaより
この日に撮った磨崖仏の写真は→
鷹取山の磨崖仏
1983年 鷹取山安全登山協議会という山岳団体の連合組織が作られ、横須賀市との間で協約を締結した、 その内容は、鷹取山でのロッククライミング実施者は、鷹取山安全登山協議会への届け出をするという条件で 横須賀市がロッククライミングを許可するというものである。 ~Wikipediaより


欧州三大北壁(マッターホルン、グランドジョラス、アイガー)を
女性で世界初めて登攀した世界的登山家、今井通子は若き日ここでトレーニングを積んだ。
彼女をモデルにした新田次郎著『銀嶺の人』にもそのシーンがいきいきと描かれています。
名作『孤高の人』に劣らず胸の熱くなる作品でした。
昭和60年代になってハーケンが抜け転落する事故を憂慮した横須賀市は、鷹取山でのハーケンを打ち込みカラビナを引っ掛けザイルでサポートするタイプのロッククライミングを禁止した。 Wikipediaより
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